池の中のかえる

かえるなりに、いろいろ考えてます

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お墓参りに行ってきたのだ

今日は、お日柄も良く朝から両親とお墓参りに行って来ました。

うちの親戚はなんだかややこしいみたいで、あちこち回ります。
でも私は、世界一大好きやったじいちゃんのお墓に参ることが一番です。
母方のじいちゃんですが、小さい頃の記憶はいつもじいちゃんと一緒のことばかりなので。

先日亡くなったKちゃんもじいちゃんの外孫なので、その報告もしてきました。
そしたら、少しだけ気持ちが軽くなったような気がしました。
私の中にはいつもじいちゃんがいるけど、今年は少し特別でした。


母は、中2の時に実の母親(私にとっての祖母)を亡くし、
高校に行くことを諦め、中学を出て仕事をしながら、
弟であるおじさん達の面倒をみていたらしいです。

その後、後妻としてきた私のしっているばあちゃんは、
家事があまりできず、おじさんたちとも合わなかったようで、
おじさんたちも母と一緒に暮らしながら、学校に通っていたこともあるそうです。
それは、最近になって知ったことです。

その後、その義理のばあちゃんが産んだ、母にとっては新しい妹と弟ができたこともあり、
それきり、じいちゃんらとは一緒に住んでいたことはなかったようです。

おじさんたちも独立し、それぞれ結婚してじいちゃんの後を継ぐことはなく、
婿養子に離れた土地に行ってしまいました。
母も父と結婚し、嫁に出ました。
でも、なぜかじいちゃんちの近くに住んでいて私と弟を産んだようです。

父方のじいちゃんばあちゃんとは疎遠やったこともあり、
小さい頃の私は、いつもじいちゃんと一緒やったような記憶があります。
じいちゃんにとっての初孫は、外孫やけどいとこのKちゃんでした。
でも、離れていたことや、向こうの家のことも考えて、なかなか会うことはなかったみたいです。

次に生まれたのが、私と弟。
同じ外孫やったけど、近くにいてまるで内孫のような環境やったし、
じいちゃんにとっての一番かわいい孫は私と弟やったんやと思います。

4歳で、父が現在の家を建て引越しして、じいちゃんと少しだけ離れました。
でも、いっつも「じいちゃんち行きたい」と暴れるくらい、大好きでした。

当時仕事が忙しかった父の代わりに、
私と弟を連れ、ちいさい軽自動車で遠出をしてくれ、あちこちドライブに行きました。
公園に遊びに行っては、走り回る私らにつきあってくれたり、
いろんな唄を教えてくれ、よく3人で唄っていたのをよく覚えています。
その時に習った唄は、現在の公文のアルバイトで、とっても役に立ち、
じいちゃんのおかげやなあと改めて思っています。

でも、私にはじいちゃんとの記憶はたくさんあるけれど、
ばあちゃんとの記憶は全くといっていいくらいありません。
母とうまくいってなかったのか、私がなんとなくばあちゃんを避けていたのか・・・。

じいちゃんは、誕生日には、必ずプレゼントを持って遊びにきてくれ、
通信簿で5がたくさんつくと、それはそれは自慢げに喜んでくれました。
学校が嫌いな私が勉強を頑張れたのは、じいちゃんのためやったんかもしれません。

そのお陰か?私は学校ではお勉強のできる優等生になりました。
そんな私に期待したじいちゃんは、
私に県内で一番の進学校にいくのを望んでいました。
私も、じいちゃんのいうことに疑問もなく、そうするつもりで中学生活を送っていました。

部活や勉強や、いろいろ自分のことが忙しくなり、じいちゃんに会うことも少なくなっていました。
そんな時、じいちゃんが突然入院しました。
最初は、肺に水がたまったから、それを抜く手術やと聞いていました。

手術をしてからも、じいちゃんは元気でした。
学校から帰ってきて、週に二度くらいは弟と私は母に連れられ、
暗い夜の卯辰山を越え、病院にお見舞いに行きました。
お見舞いに行くと、じいちゃんはいつもうれしそうにしてくれました。

でも、日に日にじいちゃんはタンがつまるようになり、
のどに管を通され、声が出しづらくなり、話をすることもままならなくなりました。
その頃、母から「じいちゃんはもってひと月」と言われました。

いよいよ危篤、といわれ制服のまま急いで病院へ行きました。
県外にいたおじさん達、母の兄弟姉妹が全員そろっていました。
18年前の8月、私が中学2年の年、じいちゃんは亡くなりました。
亡くなってから聞いたのは、じいちゃんは肺がんやったということでした。

そしてなぜか、じいちゃんが亡くなるその瞬間に、
義理のばあちゃんは間に合いませんでした。
一番近くにいたはずなんに、なぜか肝心の時にはいませんでした。

その時の私は、ばあちゃんが間に合わなかったこと、
じいちゃんがなくなった時の病室と、ずっと泣いていたこと、
土曜日の夜だったことをはっきりと覚えています。

そして、じいちゃんが亡くなった病院は、私と弟が産まれた病院だということ。

その後のことは、ほとんど覚えていません。
お通夜もお葬式も火葬場でも、ずっとずっと泣いていたことくらいです。
じいちゃんがいなくなって、自分も生きていけんと思いました。
そのくらい、私には大きなショックでした。

でも、その時の私には、学校や部活という現実があったことで、
ちゃんと立ち直るパワーがありました。
私は節目節目で辛いときも、じいちゃんを思い出し、
じいちゃんが生きていたら喜んでもらえるようにと、頑張ってきました。

色々ある中、じいちゃんには先祖代々の墓というものがなく、
亡くなってからお墓ができるまで、何年か自宅にお骨がありました。
先になくなった私の本当のばあちゃんのお骨も、行方不明でみつからず、
じいちゃんはひとりぼっちでお墓に入れられるのがさみしかったんかもしれません。

ようやく、新しくキレイな見晴らしのいい場所にじいちゃんのお墓ができました。
その頃は、お墓のニュータウンみたいやった墓所は、
じいちゃんの新しいお墓がぽつんとありました。

それから金沢もずいぶん変わりました。
夜な夜なお見舞いにいくために越えていた卯辰山にもトンネルができ、
今ならもっと早くじいちゃんのところに行けたのにと、少しくやしくなりました。

じいちゃんのお墓にいくのにも、山側環状という道ができ、とても近くなりました。
お墓参りに行く度に、墓所には新しいお墓が増え、
じいちゃんにご近所さんが増えてよかったねえと言っていました。

そして、6年前、ほとんど付き合いのなかったばあちゃんが亡くなりました。
今度は、私がばあちゃんの死に目に会うことはなく、お葬式さえ参列しませんでした。
もちろん、わざとではありません。私は出張でヨーロッパにいたからです。
パリからの帰りの飛行機で熱が出てうんうんうなりながら帰国し、
成田に無事到着した連絡をしようと実家に電話したら、
「ばあちゃんが亡くなって、今日ちょうど葬式済んだとこやわ。」と母から言われました。

元々疎遠やったし、金沢を離れていたこともあり、
ばあちゃんが入院していたことも知りませんでした。
ばあちゃんには叱られてばかりやった覚えしかなく、
亡くなったとはいえ、じいちゃんの時がウソみたいに悲しくありませんでした。
むしろ、お墓に一人ぼっちやったじいちゃんは、ばあちゃんがお墓に来て、
もしかしたらよろこんどるんかなあと思ったら、良かったなあと思いました。

仕事を辞めることになり、ずいぶん悩んでいたときも、
いつもじいちゃんのことを思っていました。
じいちゃんに、「今までいっぱい頑張ったから、早く迎えにきて」とお願いしたりもしました。
でも、いくらかわいい孫の願いでもそれだけはダメってことやったんかなあ・・・。

それなんに、いとこのKちゃんのお迎えに行ってしまいました。
Kちゃんのお通夜やお葬式の時も、ずっとじいちゃんのことを考えていました。
なんで、私じゃなくて・・・と思ったのも、そういう理由からでした。


今日お墓参りをしてきて、ふと気づきました。
父方のお墓は、山奥の暗いじめじめしたさみしいところにあります。
私が今亡くなれば、散骨でもされない限りそのお墓に入ることになるでしょう。

見ず知らずの親戚と一緒になるくらいなら、私はじいちゃんと一緒のお墓に入りたい。
もし結婚して、その相手の家のお墓に入るのならまだしも、
独り身で、そんな寂しいお墓に入るなんてきっと成仏できそうにないわと思いました。

私の性格では、きっとそれは納得いかんはず。
独りで亡くなるのなら、それなりの準備をしてからにしろってことかあ・・・、
なんて妙に納得してみたのでした。
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