池の中のかえる

かえるなりに、いろいろ考えてます

「蔵人の生活」 2、続・蔵人引退の理由

「蔵人の生活」 2、続・蔵人引退の理由
<おことわり>
これからのお話は、私が経験し、感じたことをありのまま書いております。
登場する会社、人物等に一切責任はありません。
一応、イニシャル表記させてもらいます。
苦情、クレームは私に直接ご連絡ください。


私が自分の精神の変調に気づいたのは、2007年2月のことです。
楽しかったはずの仕事が、苦痛になり、いつもイライラするようになり、
怒ってばかりで、周りにも迷惑をかけている自分にまたイライラして・・・。

病院に行ったほうがいいと気づいたのは、一人で仕事をしていると、涙が止まらず、
「なんでこんなしんどい思いをしてがんばらんといかんのや、
杜氏になるためにしんどい思いするのは仕方ないけど、どこまで我慢しんといかんのや。
こんな我慢もできんのなら杜氏は無理や。」
「こんなしんどい思いするなら、死んだほうがましや。」

と、仕事場にあったロープを鉄骨にしばって、死んでしまおうと思ったから。

その頃、蔵の中でもベテランの方が次々引退したり、杜氏さんが交代したり、
それ以外にも、人には言えない秘密の計画があったり、
蔵人5年目にしては重過ぎる問題がたくさんあり、本当に苦しかった。

これはヤバイと思い、すぐにみてもらえる病院に自分で行きました。
それが、今のT先生でした。私はT先生のおかげで今生きています
先生には、「もっと早く来るべきやった。会社にも協力してもらわんとだめや。」
その時は、もうすぐ造りの仕事も終わるし、薬を飲みながら通院をしていれば、
すぐに治るはず、というくらいのものでした。

そうして、造りが終わってココロの休養をし、通院を続けながらも、
2008年10月、結果的には最後となった酒造りに入りました。
精神的には不完全なまま、どうしても酒造りをしたかった理由があります。

ある蔵で杜氏をされていたH氏が、
私を杜氏に育ててみたい、私と一緒に酒造りをしてみたいと、
自分の杜氏という道を引退し、私の仕事と心のサポート役として、
新人として酒造りにきてくださるということになったからです。
H氏とは、元々ご縁があり、造り中は電話で造りの話をしてくださる、尊敬すべき名杜氏さんです。
そんな方が、私の杜氏になりたいというやる気を見込んで、来てくださる。
しかも、M社の酒をもっといいものにしたいという熱意をもちながら、新人として。

その時は、頑張っている自分を認めてくれる人がいたのだと、とても自信になりました。
しかも、本当にいい酒を造りたいという共通の想いをもっている方がそばにいて、
同じ目線でお話ができる人ができて、とても勇気づけられました。
当時、残念ながら蔵人の中で酒造りについてちゃんとした話をできる人は、誰もいなかったのです。

正直2008年の冬は、H氏と知人のS氏のおかげで生きていられたと思います。

実は、ストレスの主な原因に、同期で入社したHという人の存在がありました。
生理的にも、物理的にもHが嫌でたまらなかったのです。存在自体が嫌でした。
周囲もそれを認めていたし、何より社長がハッキリ「彼を杜氏にはしない」と言ったのですから。

T先生にも、H氏にも「そんなもん気にしすぎや」とよく言われました。
でも、気にしすぎと言われても、嫌なものはどうにもできず、
H氏やS氏に吐き出し続けたにも関わらず、私は爆発してしまいました
酒造りの最中は、休みをとるのも難しく、病院にいけなかったのも原因だったかもしれません。

突然、麹室の中で発狂して、H氏に対し泣き叫びながら噛み付きかかったり、
S氏に「酒造りなんてもうやりたくない、どうでもいい。」と電話で言い残し、
心配してやってきたS氏に、泣き叫びながら殴りかかったそうです。
実は、私にはその時の記憶がほとんどありません

自分を守ってくれている立場の人にさえ、どうにもできない有様で、
仕事どころか、生きていることすら満足にできない廃人のようでした。
それが、うつ病というものの恐ろしさかと思い知りました。
T先生にも、「できるものなら休みなさい」といわれていましたが、
私じゃないとできない仕事がある、途中でやめるのはくやしい、と理由をつけては、
無理やり仕事をしていました。ここで、早くやめておけば良かったと、今は後悔しています。
H氏、S氏、社長などに本当に申し訳ないことをしたという後悔です。

2008年3月、6年間勤めた会社を解雇されました。
この時には、とにかく病気を良くする事を優先することになり、
T先生や社長とも相談した結果、会社を辞めればストレスはなくなる、という結論を出し。

この時点でも、まだ私はM酒造で酒造りは続けたい、杜氏になるのは諦めないと思っていました。
なので、社員としてではなく、季節労務者として酒造りをする、という選択をしました。
それは、社長とも相談し、病気次第ということと、
社長には、ストレスの元になっていたHをどうにかしてもらうという条件付きみたいなもので。

その後、3ヶ月ほどS氏の下でアルバイトをしながら、
秋からの仕事の復帰に向け、治療に励んでいました。
しかし、そのアルバイトでも無理をしすぎ、S氏ともうまくいかなくなり、ケンカ別れ。
それもあり、うつ病の悪化は進行

そういう時っていうのは、例のごとく、
自分の方が悪くても、相手のせいにして、さらにイライラするという悪循環にどっぷり。
そうなると、薬も利かない気分になり、夜も眠れなくなります。
体調も悪くなり、だるくて何もしたくない、誰も信用できない、でもこのままじゃ酒造りもできんくなるという不安も大きくなり・・・。
→生きてることがしんどい→死んで楽になりたい→自殺 というわけです。

ここまでの間に、2回くらい遺書を書き、自殺を図りました。
病院でもらった薬のがぶ飲み、かみそりで手首を切るとか。
まあ、どちらも未遂で終わり、T先生にも「子供みたいなことするなと叱られました」
だからって子供でも、やってはいけませぬぞ。

そんな中でも、T先生や友人や先輩などに話をしたりしているうちに、
少しずつ元気も取り戻し、酒造りが近づいてきて、
杜氏さんから、8月に恒例の蔵人の顔合わせするから能登来いよー、との連絡
この連絡で、その冬の酒造りのメンバーが決定されるからです。
「よかったあ、酒造りさせてもらえるんやあ。」と素直にうれしくなりました。

しかし、これが私の引退を決定付けるものと変わろうとは・・・。
そこで起こった出来事は、些細なことだったかもしれません。
でも、そのときの私には、受け入れる余裕などありませんでした。
その蔵人のメンバーに、Hがいたのです。
そしてその席には、M社長もいらしていました。

私は社長に「Hが蔵入りするのなら、私は酒造りができません」と言っていました。
社員のくせに、生意気なヤツだと思われたでしょうね

でも、その瞬間私が思ったのは、
「なんで??誰が決めたん??社長は何を考えとるんや??」
わけがわからず、パニック状態で、ただただ社長に裏切られた悔しい気持ちだけでした。

そのショックで、私は再びうつ状態へ突入。
病院でもらった薬の残り全部(3週間分プラスアルファ)を一気に飲み、
今度こそ二度と目覚めませんようにと願いながら眠りました。
しかし、このとおり目覚め、二日間寝込んで終わり。

結局、私は死ぬこともできず、生きるしかないのかと諦めることにしました。
同時に、社長のことも信用できなくなった以上、
M社で酒造りができなくても仕方ない、と諦める覚悟をしました。
その後、社長にも「やめたほうがいいね」と言われ引退が決定したのが2008年9月のこと。
結局真実はわからないまま、社長は「Hを蔵にいれるつもりはなかった」といっていました。

諦めたといっても、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
自分がそれまでにやってきたことは何やったんや、
好きな仕事やったんになんでこんなつまらん理由でやめんといかんのや

あまりに悔しくて、しつこく社長に電話し、なきながらうらみつらみをわめいていました。
一番くやしかったことは、なぜHが残り、私が蔵から出されるのかということ。
病気の理由が会社にもあったはずなのに、それは結局私自身のせいだといわれたこと。
その後も、社長と会社に対する恨みを引きずりながら、実家に戻ることにしました。
しばらくは、夢の中でも社長に怒り狂っていたり、その逆もあったり。

不眠症がなかなか良くならず、体調も優れない時期がありつつも、
ようやく、最近気持ちも体も調子を戻しつつあるかなと感じています。
昔からの友人に助けられたり、応援してくれる人がいたことに気づいたり、
人のありがたさを、身に染みて感じ、生きていて良かったなあと思っています。
やっぱり人の温かみは何よりも強い

プールへ通うのも、ストレス発散や体力づくりもありますが、リハビリのためという要素が強いです。
水の中に入るだけで、気持ちよくて何せかえるやしね
気持ちも穏やかになり、いろいろ良いほうに思えるようになったし。

社長のことも、憎いと思っていたけれど、
あの時の私は、会社にとっては負担になるだけやったし、
あの時が、私がやめるべきときだったのだろうと思えるようになりました。
社長が、「やめた方がいい」と判断したことは間違ってなかったのかもしれんなと。
その後、会社がどうなっているかは、全くわかりません。
T先生からも、過去のこととして受け入れられるようになるまでは、
関わりをもってはダメだと言われているし。

ようやく、6年間で経験したことは、酒造りだけではなかったし、
私には、いろんな意味で財産をつくることができて良かったと思えるようになりました。
そういうことでも、社長や杜氏さんにはありがたいと思っています
私になりに努力して、一生懸命やってきた自信もあるし。
でも、こんな形で辞めることになってしまったことは、残念で、申し訳なかったと反省しています。

そんな気持ちを取り戻せるようになったので、ありのままを伝えたいと思いました。

私のうつ病との付き合いは現在進行中ですが、絶対に治ると信じて、
新たな旅に出発するところです。

つづく。
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テーマ:雑記 - ジャンル:日記

コメント

生きていてくれてよかった。

  • 2009/02/13(金) 22:51:53 |
  • URL |
  • やまね #-
  • [ 編集 ]

ウツってやつは。

ありがとう。そういってもらえるだけで、幸せなのだ。
今はいきとってよかったなあと、おもっとるよん。

ちなみに私は、F子先生にみてもらっているのだ。おぼえとるー??あの先生大好き。
仕事柄リアルやろうけど、私の場合は明るいウツなので、
知らん人にいうと、かーーーなり驚かれるよ。

大学時代に後輩がウツが原因で命を落として、本当にショックやったんにね。
まさか自分がそうなるとは・・なのだ。

  • 2009/02/14(土) 00:01:54 |
  • URL |
  • いけのカエル #-
  • [ 編集 ]

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